仏教者のことば71

  • 仏教者のことば(71)
    立正佼成会会長 庭野日敬

     我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ。
     日蓮聖人・日本(『開目抄・下』)

    鎌倉中期の日本は今の世界

     日蓮聖人が活動されたころの日本ほど内憂外患がこもごも起こったことはありません。一二五六年には暴風雨や洪水のために東国には死者が多く、作物が大被害を受けました。翌年には鎌倉に大地震があり、多くの人家が倒壊し、その翌年には鎌倉に今度は大洪水があり、多数の人びとが死にました。その翌年には全国的に飢きんが起こり、その間に疫病も流行して、聖人が『立正安国論』に書かれたように「牛馬巷(ちまた)に斃(たお)れ、骸骨路に充てり」というありさまでした。
     また、諸国に盗賊が横行し、民家から略奪をほしいままにし、旅人を襲って殺傷しました。そういう中で役人たちは、何かと理由をつけては領民から規定以外の税金をやたらに徴収しました。そうした国内の混乱に加えて、日本とは比べものにならぬほどの強国である蒙古の元(げん)が、二度も大軍を送って攻めてきたのです。幸いにも、二度とも暴風雨のために敵の艦船が沈没・漂流して占領をまぬがれましたが、まことに危機一髪だったのです。
     今の世界全体をつらつら眺めてみますと、鎌倉中期の日本にそっくりです。ある国では熱波のために作物が半減するかと思うと、ある国では大洪水によって多くの家々が流され、うち続く戦乱のために何十万という難民が出る地方があるかと見れば、はなはだしきは食糧不足で何百万という人が餓死にひんしている地方もあります。
     そうした中で、恐るべき超大国が次々と弱小の国を脅かし、思想的に侵略し、不幸の種をまき散らしています。その超大国に対抗するもう一つの超大国が着々と核戦力を増大しつつあり、国際的テロ行為も続発していますから、いつボタン一つが押されることによって世界中に火の雨が降り、何億という人間が黒焦げとなってもだえ死ぬかわからぬという、危機寸前の状態にあるのです。

    われ世界の柱とならん

     日蓮聖人は当時の危機に際して、それらはすべて信仰の誤りによって生じたものと断じ、日本人すべてを正しい信仰へ向かわせようとして不惜身命の努力をされました。その決意のほどを言い表されたのが右の言葉です。「われこそは日本を支える柱となろう。日本人の精神の要(かなめ)となろう」という烈々たる意気であります。
     今の世界の混乱と危機を「信仰の誤り」の故と決めつけることはできませんが、しかし、「心の誤り」であることは確かです。近年著しくなった異常気象も、干ばつも、単なる天災ではないと言われています。森林の乱伐による地球の砂漠化の進行や、石油燃料の乱費が大気の組成を変えつつあることも大きな原因になっているというのです。ましてや、各地に起こっている民族間の反目、宗教の相違による戦争やテロ行為においてをやです。そうした心の誤りの頂点にあるのが、核戦力の増大です。
     われわれは、一日もうかうかしてはおれないのです。表面の、一時的な、そして一部的な繁栄を楽しんではおられないのです。心ある人が「われ世界の柱とならん、われ世界の眼目とならん」という決意をもって立ち上がり、人類の、とりわけ先進諸国の人間の心のあり方を百八十度転回させるようにあらゆる努力を尽くさねばなりません。
     それも、一人より二人、十人より百人、千人より万人と、多くの「心ある人」の結集が大切なのです。お互いさま、人類永遠の幸福のために、敢然と立ち上がろうではありませんか。
    題字 田岡正堂
    =おわり=