仏教者のことば69

  • 仏教者のことば(69)
    立正佼成会会長 庭野日敬

     手は熱く足はなゆれど
     われはこれ塔建つるもの
     宮沢賢治・日本(宮沢賢治全集5)

    死を前にした充実感

     宮沢賢治の文学は、法華経の宇宙観・人間観から発していることは前にも書いたとおりです。有名な「雨ニモマケズ」の詩にしても、「西ニツカレタ母アレバ 行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ」というのは菩薩行の実践であり、「南ニ死ニサウナ人アレバ 行ツテコハガラナクテモイイトイヒ」というのは観世音菩薩の施無畏です。
     そして、この詩の結びに「ミンナニデクノボウトヨバレ ホメラレモセズ ク(苦)ニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ」と書いています。つまり賢治は、世間的には目立たないところで、実質的に、コツコツと菩薩行を積んでゆきたいという謙虚な心の持ち主だったようです。
     事実、教師の職を辞してから「羅須地人協会」を設立し、故郷一帯の稲作指導を行う一方で、農民芸術を語って、地方農民への献身的な生活をつづけたのでした。その文学作品も生前はあまり認められず、死後、高村光太郎氏や草野心平氏の紹介で世に注目されるようになったのであって、「雨ニモマケズ」の詩にしても後にその手帳から発見された、下書きのようなものだったのです。
     前掲の詩(一部)は、重篤な病の床で書いたものですが、さすがに死に直面しては、自分の後半生が法華経精神につらぬかれたものだという充実感がこみ上げてきたものらしく、「われはこれ塔建つるもの」という一句にもそうした自覚が満ちあふれています。

    貪欲な男にも仏性を

     では、この後に続く全詩句を見てみましょう。

     滑り来し時間の軸の
     をちこちに美(は)ゆくも成りて
     燦々と暗をてらせる
     その塔のすがたかしこし

     むさぼりて厭(あ)かぬ渠(かれ)ゆゑ
     いざここに一基を成さん

     正しくて愛(は)しきひとゆゑ
     いざさらに一を加へん

     高熱のために手はほてり、足は萎(な)えているけれども、思えば自分は仏性の塔を建てるためにこの世に生まれてきたもののようだ。過去をふりかえってみると、遠い所にも、近い所にも、暗の中にさんさんと光を放っているその塔が、有り難く見えてくる。
     貪欲なあの人のためにも、さあここにもう一基の塔を建てよう。正しくて美しいあの人のためにも、さあ、もう一つ塔を立てよう……
     すべての人に仏性を見ているのです。法華経そのもののような詩です。世間に発表するために書かれたものではなく、自分の内心の叫びを書き留めておいたものでしょう。それだけに、いよいよ尊い詩だと思います。
     わずかに三十八年の一生でしたけれども、賢治はたしかに多くの塔を建てました。しかし、死に直面するまでは、自分のことを「修羅」と呼んだり、「はてなき業の児」と見たりしてきました。そして、デクノボウになりたいと願っていました。
     しかし、いよいよわが命はここに極まるというときに、「このわれは仏性の塔を建てる者だ」という光り輝くような自覚が魂の底からわき上がってきたのでありましょう。願わくは、われわれも、臨終の床でこうした自覚を持てるような一生を送りたいものです。
    題字 田岡正堂