仏教者のことば37

  • 仏教者のことば(37)
    立正佼成会会長 庭野日敬

     大道無門
     無門慧開・中国(無門関・序)

    千差万別でも道はある

     有名な言葉です。里見弴の小説の題名にも用いられました。南宋の高僧無門慧開が評唱した古人の公案四十八則を、弟子が集録した『無門関』という本の序にあるものです。このあとに続く言葉を補いますとこうなります。
     大道無門、千差(しゃ)道有り。此の関を透得(とうとく)せば、乾坤(けんこん)に独歩せん。
     現代語に意訳しますと、「仏道に入るには門などはない。千もの道があって、どこから入ってもいい。ところが、じつはここにも関があるのだ。この関さえ通り抜ければ、天地のどこでも自由自在に独り歩きができるのである」というのです。
     仏道というものは、ひろびろとした世界で、そこへ入る門などはありません。だれでも、いつでも、どこからでも、自由にはいれるのです。そこへ行くには千もの違った道があり、どの道を行ってもいいのです。要は、「はいろう」という強い意志、性根(しょうね)、それがあればいいのです。
     ただ、ここで一言しておきたいのは、千差万別だとはいっても、とにかく「道はあるのだ」ということです。富士山に登るにしても、どこから登っても頂上に達せられます。岩登りなど自由自在の達人なら、だれも登ったこともないルートをたどっても行けましょう。しかし、普通の人間なら、やはり御殿場口とか、吉田口とか、むかしからよく使われている道を行くのが無難です。早く、無事に、頂上に達することができるからです。
     魯迅(中国の有名な文学者)が「多くの人が歩いた所が道となる」と言っていますが、道というものはそんなもので、仏道もやはり同じです。多くの古人がたどった道が、やはり大道だと知らなければなりません。

    「我」の関門を抜ければ

     ところで、門はないといっても関はあるというのは矛盾しているようですが、そうではありません。この関というのは、「我」です。おれが、おれがという心です。自分の損得や、名誉や、権威などにとらわれている心です。これがなかなかの難物であって、凡夫はこれに引っかかって仏の世界へと抜け出して行けないわけです。もしここを通り抜けれは、それこそまったく自由自在、なんのこだわりもなくこの世を渡って行けるのです。
     白隠和尚が住んでおられた駿河の国のある油屋の娘が私生児を産みました。父親が怒って、男の名前を言えとさんざんに責めましたので、娘は苦しまぎれに、和尚さまだと言えば許してもらえると思って、つい「白隠さまです」と言ってしまいました。父親は頭から湯気が立つほど怒ってお寺へ駆けつけ「この生臭坊主、この子を受け取って育てろ」と談じ込みました。白隠和尚は「ああそうか、そうか」と言ってその子を受け取り、可愛がって育てていました。
     そのことが村中で大評判になり、これまで高僧とあがめられていたのが一転して、とんでもない破戒僧だとさげすまれるようになりました。あまりの評判に娘のほうが堪え切れなくなって、「じつは……」と白状しました。父親は早速お寺へ行き、土下座をして謝り、赤ん坊を頂きたいとお願いしますと、白隠和尚は顔色一つ変えず、「ああそうか、そうか」と言って子供を渡されたといいます。
     こういう方こそが、乾坤に独歩する、天地のどこにも自由自在に生きる人でありましょう。なかなか真似のできない境地ですが、せめてこの百分の一でも学び取りたいものです。
    題字 田岡正堂