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仏教者のことば27

  • 仏教者のことば(27)
    立正佼成会会長 庭野日敬

     過去に法華経の行者にてわたらせ給えるが、今、末法に船守の弥三郎と生れかわりて、日蓮をあわれみ給うか。
     日蓮聖人・日本(船守御書)

    信仰は最高至上の情操

     「人間は感情の動物である」という言葉があります。そういえば、われわれの人生から感情とか、情緒とか、情操というものを取り去ることは絶対にできません。信仰というものも、つまりは最高至上の情操ですが、これはいちおうさしおいても、人を愛したり、なつかしく思ったり、感謝したり、大自然の素晴らしさに感動したり、とにかく美しい感情・情緒・情操の波立ちがあってこそ、われわれの人生はいきいきとした、生きがいあるものになるのです。
     聖者といわれる人々も、やはり同じだと思います。仏の悟りを開かれたお釈迦さまでも、人々の供養には感謝され、苦しみ悩んでいる人には心から哀れとおぼしめされ、舎利弗や目連の死に遭っては大勢の比丘たちの前で「寂しい」と口に出してお嘆きになりました。どんなことがあっても冷静氷のごとく、感情ひとつ動かさないような人があったらそれは人間とはいえますまい。
     ところで、インドや中国や日本などの仏教者には、偉大な人物が数々ありますが、感情の波立ちが激しく、そしてそれを率直に表現された点において、日蓮聖人ほどの方はなかったのではないでしょうか。とりわけ、弟子・信者たちに対するやさしさ、思いやり、感謝、それらをなんのてらいもはばかりもなく、ご消息(しょうそく=手紙)に書き送っておられるその人間味に、われわれは無限のなつかしさを覚えずにはおられません。
     ここに掲げたのは、伊豆の一漁民・弥三郎に送られた手紙の一部です。時の執権北条長時は何の理由もなく聖人を召し捕り、由井ヶ浜から船で伊豆へ流そうとしました。伊東沖にさしかかった時、波風がにわかに荒くなりましたので、役人どもは海岸から離れた平たい俎岩(まないたいわ)の上に聖人一人を置き去りにして引き返してしまいました。潮はだんだん満ちてきて、そのままでは聖人のお命はなかったでしょう。
     その時、浜へ急ぎ帰る漁船が通りかかり、聖人をお助けしたばかりか、きびしい幕府の目をくぐって岩穴にかくまい、女房もろとも朝夕の食事を運び、ご供養したのでありました。

    愛し合う人あってこそ

     この文の前後を補えば、次のようになります。
     「船より上り苦しみ候いきところに、ねんごろにあたらせ給い候し事は如何なる宿習(宿世の因縁)ならん。過去に法華経の行者にてわたらせ給えるが、今、末法に船守の弥三郎と生れかわりて、日蓮をあわれみ給うか。たとい男はさもあるべきに女房の身として食をあたえ、洗足、手水(ちょうず)、其外さも事ねんごろなる事、日蓮はしらず、不思議とも申すばかりなし。(中略)ことに五月の頃ともなれば、米も乏しかるらんに、日蓮を内内にてはぐくみ給いしことは、日蓮の父母の伊豆の伊東、川奈というところに生れかわり給うか。云々」
     この「過去に法華経の行者であられたのか」、「日蓮の父母の生まれかわりか」といった言葉には、感謝の真情が惻々(そくそく)と籠っていて、われわれの胸を打ちます。
     またある時、愛弟子四条金吾に「そなたが仏果を得るならわたしも共に仏果を成じよう。もしそなたが地獄へ行くならばわたしもまた地獄へ行こう」と申されておりますが、人間と人間との心のつながりの深さは、ここに尽きると言ってもいいでしょう。
     このように愛し愛される人を持たずにどこに人間と生まれたかいがあるでしょうか。
    題字 田岡正堂