仏教者のことば15

  • 仏教者のことば(15)
    立正佼成会会長 庭野日敬

     売買をせん人は、まず得利の益(ま)すべき心づかいを修行すべし。
     鈴木正三・日本(万民徳用)

    道にかなった利益を

     鈴木正三(しょうさん)はもと家康に仕えた武士で、関ヶ原、大坂の陣などで戦功を立てましたが、四十二歳のとき出家しました。そんな経歴の人だけに、いわゆる酸いも甘いも噛み分けたところがあり、その説法もくだけたものでしたし、著述も仮名まじりのわかりやすい文章で書かれていました。中でもその主著である『万民徳用』は、題名の通り、庶民の実生活に役に立つ法話に終始しています。
     ここに掲げた言葉は、ある商人が「わたくしは売買の業をしており、利を得たいと思う心が止む間もなく、菩提に進むことができません。どうしたらいいでしょうか」と尋ねたのに対して答えた第一句です。ズバリとした、胸のすくような言葉ではありませんか。この句に続いて、大意つぎのように説いています。
     「その心づかいというのは、ほかでもない。身も心も天地の道理に投げ入れて、一筋に正直の道を学ぶことである。正直の人には、諸天善神のめぐみが深く、仏のご加護もあって、災難をのがれ、自然に福を増し、世間の人々に愛され敬われて、万事が心にかなうようになってくるであろう」。とかく仏教は現世否定的な、消極的な教えのように思われがちですが、このように「商人は利益を増そうと思うのが当然である」という肯定の上に立って、その心づかいを説くところなど、いわゆる「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)=煩悩がそのまま悟りへ達する道である」という大乗の真理を踏んまえた名説法であると思います。

    世をうるおす商売を

     ほんとうに悟った人は、世間の思惑などを気にせずに、こんなズバリとしたものの言い方をするもので、経営の神さまと言われる松下幸之助さんも、こう言っておられます。
     「利益というのはとうといものである。どっちの字を取ってみても悪い意味はすこしもふくまれていない。それは自分をうるおすだけでなく、人をうるおし世の中をうるおす。またそれには大きな可能性がふくまれている。
     世の中は利益をもとめて動いていると言っていい。その中には精神的な利益というようなものも、もちろんふくまれている。
     商業や事業をやって利益をあげないのは罪悪である。そういう事業なり商売はけっきょく長いあいだにはだめになる。それは自分をだめにするだけでなく、社会に迷惑をかけずにはおかない。正しい意味の利益はかならず社会に還元される性質をもっている。そこに立脚していれば、利益を主張することは、すこしもやましいことではない」(『松下幸之助一事一言』より)
     鈴木正三師も、同じ章のずっとあとの方に、やはり社会のために商売をすべきだということを、大きな視野から述べておられます。
     「この身を世界に投げうって、一筋に国土のため万民のためを思い、自国の物を他国へ移し、他国の物をわが国に持って来て、遠い国、遠い村里までうるおし、多くの人々のためになろうと誓願して、国々をめぐることは、業障を尽くすべき修行であると思い定め云々」(現代語に意訳)
     まことに、貿易ということの意義を言い尽くしていると同時に、そのような仕事で広く世の中の人のためになること自体が、おのれの業障を解消することになるのだ……という、在家の仏教者にとってじつに有り難い、勇気を与えられる名言だと思います。
     お互いさま、こうした心がけと自信を持って、それぞれの仕事に励みたいものです。
    題字 田岡正堂