心が変われば世界が変わる36

  • 心が変われば世界が変わる
     ―一念三千の現代的展開―(36)
     立正佼成会会長 庭野日敬

    愛語よく廻天の力あり

    生きものにはハゲミをつけよ

     前回に、植物にも心があるということを書きました。その実例をもう少し紹介してみましょう。
     かつてアメリカでベストセラーになったクラウド・プリストルという人の著(信念の魔術)(日本訳はダイヤモンド社発行)に、あるスイス人の庭師のことが書かれています。
     「彼は小さい苗木を植え、根に土をかぶせるとき、その都度、なにかおまじないをぶつぶつと口の中で言っていました。私は不思議に思ってわけを聞くと、彼は言いました。『あなたにはおわかりにならないかもしれませんが、私はこの木が栄えて、りっぱに花を咲かせるように話をしてきかせているんです。私が子供のころ、生国のスイスで、師匠に教わったのです。なんでも生きものにはハゲミをつけてやらなければならない……というのです』」
     「なんでもいきものにはハゲミをつけてやらなければならない」とは、じつに素晴しい名言だと思います。

    「くされ」と「美しく」の差

     一昨年の三月三十日発行の(中外日報)に、北川陽光さんという方が、次のような実験報告をしておられます。
     「今年(昭和五十二年)五月二十五日、夏みかんを五個買ってきました。二個を仏壇に供え、三個は私が頂きました。一週間ほど過ぎて仏壇の二個を下げました。一個にたいしては『くされ、くされ、くさる、くさる』と念じました。他の一個には『美しく、美しく、そのままで、そのままで』と念じました。そして二階に上がるたびに同じように念じ続けました。
     四ヵ月近く過ぎた九月半ばごろ、マイナスに念じた方が黒くなりかけていました。『私の願いを聞いてくれてありがとう』とお礼を言いました。それから一ヵ月あまり過ぎた十月二十一日に二個をならべて写真を撮りました。プラスに念じた方は五ヵ月前の美しい姿そのままです。私は今もなお二個の夏みかんを見守っています」
     これは普通人よりすぐれた念力をもつ方の実験例だと思いますが、いずれにしても、植物にも心があり、人間の心がそれに通ずることは間違いないようです。

    理解を示す言葉をほどこす

     仏教に(和顔愛語)という言葉があります。「人には和やかな優しい顔で対し、愛情ある言葉をかけるように心掛けよ」という教えです。その愛語について、道元禅師は(正法眼蔵)の中でくわしく解説しておられます。
     「愛語というは、衆生を見るにまず慈愛の心をおこし、顧愛(こあい)の言語をほどこすなり。おおよそ暴悪の言語なきなり。(中略)衆生を慈念すること、猶、赤子の如し、おもいをたくわえて言語するは、愛語なり」
     どんな人に対しても、自分の子のようにいとおしい思いを抱いて言葉をかける、これが愛語だというのです。しかし、実際問題として、凡夫のわれわれにとって、どんな人をもわが子のように思うというのは難事中の難事です。そこでわたしは、方便として、この慈愛という言葉の代わりに(理解)という言葉を置き換えたらどうかと考えるのです。
     どんな人も、この世に生まれてきているかぎり、ある(存在価値)をもっています。その人なりの(分)があり、(立場)をもっています。その存在価値・分・立場というものを理解しようと思えばわれわれ凡夫にもできます。そうした理解を示す言葉をほどこすこともできます。だれでも、「自分が理解されている、認められている」と思えば、こんなうれしいことはありません。どうかすると、「愛されている」と知るよりも、もっとうれしいかもしれません。そこで、道元禅師のつづいての言葉も生きてくると思うのです。
     「むかいて愛語をきくは、おもてをよろこばしめ、こころをたのしくす。むかわずして愛語をきくは、肝に銘じ魂に銘ず。しるべし、愛語は愛心よりおこる、愛心は慈心を種子とせり。愛語よく廻天のちからあることを学すべきなり、ただ能を賞するのみにあらず」
     面と向かって愛情ある言葉を聞くのもうれしいが、人づてに「あの人は君のことをこう賞めていたよ」などと聞けば、理解された喜びはなおさら深く魂に刻まれるのです。「愛心は慈心を種子とせり」とありますが、心とは一切のものを等しくいつくしむ仏の心ですけれども、仏ならぬ凡夫にとっては(一切のものを理解しようとする心)と考えていいと思います。
     そして、あらゆる人に理解を示す言葉を施せば、理解された人の魂は必ず喜びます。そのようにして、愛の言葉とそれを聞く喜びが無限に広がっていけば、この世はこのまま浄土と化するのです。それが「愛語よく廻天のちからあり」にほかなりません。(つづく)

     仏頭(山田寺)
     絵 増谷直樹