心が変われば世界が変わる13
心が変われば世界が変わる
―一念三千の現代的展開―(13)
立正佼成会会長 庭野日敬信仰活動の真の功徳
病人にお導きを勧めるのは
信仰によって病気が治る原因の第五に、「信仰活動をすることによって、からだも積極的に動かすようになり、それが好影響を与える」ということを挙げました。病気がちの人は、ともすれば自分の病気に甘えて、必要以上に安静にしていたがります。そういう態度には二つの逆効果がつきまといます。第一は、生きている限り、なるべくからだを動かさなければ、からだ全体の活力と機能は低下する一方です。したがって、病気そのものもなかなか治りません。病気を治す最も大きな力は、からだ全体に具わっている自然治癒力なのですから。第二に、そうした甘えは「わたしは病気なのだ」という暗示をいつも自分自身に与えていることになり、そのためいよいよ病気から離れられなくなるのです。ですから、何らかの方法で病気を忘れることが必要だということになります。
宇都宮教会所属の栗原亘江さんは、一度手術した子宮ガンが再発し、がんセンター入りを勧告され、生命もあまり長くないと覚悟していました。所属支部の支部長の麦倉己予野さんは、栗原さんが気性が強く、夫の徳訓さんにいつも不満を抱いているのを知って、まず、夫の言葉を無条件に聞くように命じました。と同時に、お導きをするように指導しました。もう一人の強い自分がいた
栗原さんは、この二つのアドバイスを懸命に守り、お導きも多い時は一ヵ月に六人もしたそうです。と同時に、これは自発的ですが、朝九時から行われる支部のご供養に一年間無遅刻・無欠席を続けようと決意し、見事にそれをやりとげました。
現在、ガンの再発を宣告されてから二年半になりますが、患部に何の異常もなく、元気に暮らしておられます。そして、助かるまでの修行の日々を振り返って「毎日毎日が、道場へ一分も遅れまいとする緊張感と、生きている間に家族はもとより、他人のために尽くしておきたいという気持だけでいっぱいでした」と語っておられます。また、「修行を続けているうちに、自分の中にもう一人、強い自分が生まれてくるような心境でした」とも述懐しておられます。これは、信仰というものの神髄を物語る貴重な内的体験であると思います。なお、ちょっと付け加えますと、現在でも時に夫に反発することがあると、すぐに子宮に激痛を覚え、サンゲをするとたちまちよくなるということでした。これまた、大いに考えさせられる事実です。
子宮ガンと言えば思い出すのは、今の唐津教会長の中村倭子さんと、福岡教会でお導きの名人と言われる(一ヵ月に二百人も導かれたことがあるという)橋本佳子さんとの因縁です。橋本さんは婦人科の病院に看護婦として勤務中、自分も重症の子宮ガンにかかり、死を覚悟していたのだそうです。患者さんの一人にやはり手遅れの子宮ガンの人があり、いつも「死にたくない、死にたくない」とシクシク泣いているので、「この本を読んでごらんなさい」と雑誌『佼成』を差し上げたところ、それがキッカケでこの患者さんが入会されました。
入会するやたちまち熱心な実践者となり、病院に通うバスの中で同病の人を片端から導いたのです。そうしているうちに、いつしか自分の病気がすっかり治ってしまったのでした。それを見てびっくりしたのは看護婦の橋本さんです。会員としては先輩でありながら、それほど熱心でなかった橋本さんは、遅ればせながら信仰活動に身を入れるようになりました。そして、たくさんの人を導いているうちに、ご自分の病気も治ってしまったのでした。この患者さんこそ、今の唐津教会長の中村さんにほかなりません。仮の自己と本来の自己
こう見てきますと、自己を投げうって信仰活動をすることが、本当の自己を育てるのにどんなに大切であるかがよくわかってくるはずです。自己には仮の自己と、本当の自己があります。鈴木大拙博士はこのことを「自己の中にもう一人の自己がある」と表現され「初めの自己は変化する自己で、意識的自己という。あとの自己は変化するものを自覚する自己で、本来の自己という」と説明しておられます。ちょっと難しい論理のようですが、さきほどの栗原亘江さんの「自分の中にもう一人、強い自分が生まれてくるような心境でした」という素朴な述懐をよくよくかみしめてみれば、おのずからうなずけるはずです。
信仰とはつまり、仮の(現象上だけの)自己を捨てることによって、本来の(宇宙のいのちそのものの)自己を浮かび上がらせることにほかならないわけであります。と言えば、高徳の僧などでなくてはできない難しいことのように見えますが、そうではありません。在家の普通の信仰者でもやすやすとできるのです。すなわち、利他行を実践しさえすればいいのです。いま挙げた実例が、そのことを証明しているではありませんか。
(つづく)
魔衆の頭部(ハッダ)
絵 増谷直樹