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心が変われば世界が変わる9

  • 心が変われば世界が変わる
     ―一念三千の現代的展開―(9)
     立正佼成会会長 庭野日敬

    「あれもこれも」と欲張らぬこと

    あれこれ迷わず一時に一事

     一時に一事を

     現代人に多いイライラの大きな原因の一つに、「あれもしなければならない」「これもやってしまわねば……」と、一時に三つも四つものことを気にするという心のもち方があります。そうしますと、いろいろなことが心の中で錯綜し、入り乱れて、まとまりがつかなくなり、ただイライラするばかりという状態に陥ります。
     イライラだけならまだいいのです。およそ仕事というものは、それに手をつける前はたいてい重荷に感ずるものです。やり始めると案外やさしくスラスラ運ぶものですけれども、始める前は何ということなしに過大に見えるものなのです。そういう仕事が三つも四つも目の前に立ち塞がっていると思うと、神経の細い人は、その重圧に押されて心が鬱屈してしまいます。その鬱屈が怖いのです。(新人五月病)といって、学窓を巣立って社会人になりたての人が、まだ研修の段階にノイローゼになってしまうケースが多く、発作的に飛び降り自殺などをする事例をよく聞きます。これなど、「仕事を始める前のわけのわからぬ重苦しさ」に負けたのだと、私は思います。
     いずれにしても、一時にいろいろなことを気にかけるのは、精神衛生上たいへんよくないことです。では、どうすればよいのか。簡単です。いちばん急を要することから手をつけ、それに全力を集中することです。全力を集中してやり遂げられない仕事はないはずです。それができるからこそ、あなたは今の地位を獲得しているのですから。そうして一つのことを成し遂げれば、自信もつき、勢いにも乗り、他のものごともおのずからスムーズに片付けていけるものです。(一時に一事)を……これは仏法でいう(三昧)の実生活への応用であり、まことに理にかなったことなのです。

    万事に完全を望むのは無理

     超人的な衝動を避けること

     青砥藤綱(あおとふじつな)は北条時頼に仕え、清廉潔白な人柄と、公平な裁判で評判の高い人でした。わたしが小学生時代の修身の教科書に、この人がわずかな銭(もちろん硬貨)を川の中に落としたのを、その何十倍もの金を使って人足を雇い、ついに探し出させたという話がのっていました。たとえ少額でも永久に川底に沈めてしまっては国家の損失である。人足たちに支払う賃金は回り回って人々の暮らしを潤しこそすれ、消失することはない……という精神から、自分自身の目先の損は承知の上でそうしたのだ、と教えられました。
     この逸話にも片鱗が見えるように、藤綱は万事についての完全主義者で、自分のやっていることを常にあきたらず思い、上の人が自分を不満に思ってはいないか、下の人に憎まれてはいないかと、いつも小心翼翼とし、イライラしていました。ある晩、うつらうつらと物思いにふけっていますと、とつぜん目の前に真っ黒な妖怪が現れました。「何者だ」と大喝しましたが、妖怪は答えません。藤綱が立ち上がると、同じように立ち上がり、棒を捨てて腕を組むと、化け物もその真似をします。
     藤綱が心を静めてジッとみつめてみましたところ、その真っ黒な妖怪は自分の影法師だったことがわかりました。そこで藤綱は忽然として悟ったというのです。「万物はすべてわが影である。主君や、上役や、家来たちの言動に映るのもわが影である。それを一々気にするのは、わが影法師と戦うようなものだ。自分さえ正しく、真心を尽くして行動しておれば、他の思わくなど気にすることはないのだ」と。
     明らかに藤綱はノイローゼにかかっていたのです。なぜノイローゼになったかといいますと、あまりにも万事につけて完全でありたいと気を使い過ぎたからです。完全でありたいと願うのは悪いことではありません。しかし、万事につけて完全な人というのは一種の超人であって、それを望むのは無理というものです。

    一事において超人たらん…

     早稲田大学の創始者大隈重信侯は字が下手で、揮毫を頼まれてもほとんど書かなかったという話。菊池寛は、いつも巻き帯のダラシナイ格好をしていて、着物のヒザのあたりは煙草で焼け焦げだらけだったという話。世にすぐれた人たちにも、どこかに欠点はあるものです。ましてや、われわれ凡人が「あれもこれも完全に」と気を使えば、結局は(二兎を追うものは一兎をも得ず)に終わること必定です。また、そうした完全主義者は、何もかも中途半端な自己を嫌悪するようになったり、ノイローゼにかかって自分の影法師と独り相撲を取るようにもなりかねません。超人になりたければ、ただ一事において超人たらんと欲することです。
    (つづく)
     サーンチーの柱頭のゾウより
     絵 増谷直樹