開祖 (19640515A) 大聖堂落成式
法話コード=開祖-1964-05-15-A
先生名=庭野日敬開祖
行事名=大聖堂落成式
日 とき=1964(昭和39)年5月15日
録音分=27分
場 所=大聖堂
出席者=掲 載=
見出等○庭野会長 (一同 拍手)(咳払い)えー、本日は、(咳払い)わたしども会員の待望の、聖堂が落成を致しまして、めでたく、この落慶の式典を挙行できますこと、皆さまとともにお祝いを申し上げます。(咳払い)
えー、本日はまた、全国各地から、ご遠路、わざわざ来賓諸先生方には、公私ともご多用の中を、ご臨席の (聞きとれず) かたじけのう致しまして、わたくしどものこの落成式に、錦上花を添えていただきましたことを、厚くお礼を申し上げる次第でございます。
えー、ただいま(咳払い)委員長の報告のとおり、えー、満8カ年の時日(じじつ)をかけまして、200万会員の善意によりまして、皆さんの真心によりまして、ご覧のような、聖堂が完成をしたわけでございます。
この8カ年のあいだ、信者の皆さまから、真心からなる、献金、ご協力をいただきましたその中に、素晴しい、美談がたくさんございますが、中の1、2をご紹介申し上げますと、毎日のおかず代を10円ずつ倹約をされて献金をくださる奥さん方、さらに、新聞配達をしていなさるところの少年が、その血の出るような、汗の結晶を毎月100円ずつ、この聖堂建設に奉納をしてくださる。そして、その領収書を、100円の領収書を毎月1枚ずつふえることを非常に楽しみに、心からなる布施をしていただきました、というようのお話が枚挙にいとまないほど、数々の、皆さま方の善意が、本日ご覧になっていただきますようの、この成果をおさめたわけでございます。(間)
小さな善意が、そういう心がけが、こうした大きなことを成し遂げるものであると、その人間の、輪の力、共同の力、その強さ(「つおさ」と発音)をつくづくと感じさせていただきますときに、8年間の皆さま方のご苦労に対して、衷心から厚くお礼を申し上げる次第でございます。(間)
(咳払い)この道場は、皆さまのおいでをいただきます、東のほうと西のほうと両方から陸橋がかかってございます。この橋を波羅蜜橋と名前をつけてございます。で、波羅蜜とは、わたくしども菩薩行の六波羅蜜の修行。皆さんご承知のように、その波羅蜜ということは、わたくしどもの、この此岸(しがん)、こちらの岸。わたどもの住んでいるこの娑婆国土は、非常に変化の多い、いろいろの困難の多いところとされております。で、仏さまの岸は彼(か)の岸、向こうの岸。その岸は、誠に安楽で、素晴しい極楽であると、いわれております。そういう意味で、波羅蜜橋をずーっと登ってまいりますと、この聖堂の正面においでをいただきますと、第一番に石段を上がりまして、この4階の正面には、彌勒菩薩、文殊菩薩と普賢菩薩を左右につけましたところの、壁画が、まだ未完成ではございますが、飾られてございます。これはわたしどもが、六道の輪廻に苦しんでおるところの人生から、その波羅蜜橋を登っていただきますと、そこに、この4階に入るときには、十界のうちの四聖という、声聞、縁覚、菩薩、仏界という、その経文に示されたようの順序で、この中においでをいただいて、根本仏教の教義を勉強をしていただきまして、お互いに修行をさしていただきまして、そして、人格の完成、一人ひとりの個人の完成という修行を、法座という形式によりまして、あらゆる心の悩みをお互いに語り合って、そこから人間の和、恨みとか、悲しみとか、そういうものを一つ一つ法門に照らしまして解決をする場としての、修行の道場を、ご覧のようにつくったわけでございます。
えー、そういう意味で、この4階は全部椅子席でございますが、5階、6階、7階はじゅうたんを敷きまして、みなさんがお座りになっていただいて、とっくりと、腹の中から、いろいろの人生苦を語り合って、その人生苦の根源はどこにあるのかと、そういうことを、お互いに、研鑚(けんさん)をし、勉強をしまして、おのおのがその解決をこの道場におきまして、仏法の法則によって一つ一つ解決をしていく、そういう道場に、つくったわけでございます。
しかし、本日のように、こういう場合に、5階以上の各階は、この模様がよく見えないわけであります。声は聞こえましても、見えないというと、やはり、百聞一見にしかず、とかという諺がありますように、皆さんに同じようにご覧になっていただく、説法をする表情をよくご覧になっていただくと、そういう意味で、テレビを取り付けたわけでございます。でありますから、4階以上はもとより、3階も、この下の3階も2階も1階も、テレビをもってご覧になっていただきますると、全館がことごとく手にとるように、どこにおいでいただいても修行の場とできるわけでございます。
ま、そういうわけで、この伽藍は、みなさんご覧のように、8年の歳月をかけまして、200万信者の真心によりまして、つくったのでありますが、建築に対しましては、先ほど報告にもありましたように、銭高組、社長さんをはじめ、東京支店長さん、また現場の監督のナカガワさん、この設計にあたられました、オイカワ設計主任、または現場の建築主任、各部門に配置をされましたところの方々が、まったく、利害、損得を超越して、この世紀の殿堂をつくるのだというので、あらゆる物心両面にわたって献身的のご奉仕をいただきましてできたのでございます。ここに、本日、落成式にあたりまして、この建築にたずさわる皆さま方に、重ねて厚くお礼を申し上げる次第でございます。
えー、さらに、この道場の中には、最も大切のことは、ここに(咳払い)勧請を申し上げておるところの本尊でございますが、宗教建設と致しますると、その中心になる、本尊はいかなることにするかと、こういう問題になるわけでありますが、これに対しましては、(咳払い)この本尊の表現ということになりますると、教義上は昭和20年に、神の啓示によりまして、すでに、久遠実成の釈迦牟尼仏を本尊とすべし、という言葉がありまして、決まっておったのでありますけれども、これをどういうふうに表現するかということに対しましては、本会の教学顧問でいますところの鴨宮成介氏、ならびに岩田日成師、さらに(咳払い)宮原龍遷画伯の3人の方々から専門的の研究をしていただきまして、古来の仏教施設のいろいろの仏像の関係、また経文によるところの、二尊四士、という方法をとりまして、現在の本尊が出来上がったわけでございます。えー、二尊四士とはいかなることかと申しますと、えー、このお釈迦さまの頭(こうべ)のところに、頭の上に多宝塔というお塔がございます。その中に多宝如来があるわけでありますが、えー、しかも、周りの光背の中に、ずーっと雲の模様の中に四大菩薩の座像が四つございます。これは四士、すなわち、上行、無辺行、浄行、安立行の四大菩薩をこの光背の中に座像にして配置をしたわけであります。そして、ちょっと一見致しますると、お釈迦さまの像が大きく現われておりまして、一尊のように見えます。ところが、法華経の経文にありますように、多宝如来の証明ということによって初めて、久遠実成の本仏の教え(「おしい」と発音)、仏さまのみ心、というものが証明されますように、その順序を取りまして、釈迦、多宝の二尊、そして4人の大導師、大菩薩を配置を致しましたのがこの本尊でございます。
この本尊こそは、久遠実成のお釈迦さま、インドにお生まれになったお釈迦さまは、さらに、 (聞きとれず) この、インドのお釈迦さまが迹仏として現われるところの、その根本理であるところの本仏、この久遠の本仏を表現する、ということに非常の苦心をしたわけでございます。
かく致しまして、出来上がりました本尊、さらに、この本尊の問題が、いよいよ決まりまして、このご尊像の彫刻をどなたにお願いをするかということになりまして、たまたま錦戸新観先生と知遇を得まして、先生にわたしどもの、この問題を申し上げましたところ、快くお引き受けをいただきまして、爾来、京都、奈良の仏像をことごとく見学をさせていただき、参拝をさせていただきまして、研鑚に研鑚を重ねまして、約4年の歳月をかけまして、錦戸新観先生ほか才識の方々、みなお手伝いの方々43名のお方によって、この本尊ができたわけでございます。(咳払い)
こうして、本尊を、ここに飾ります、その周りを囲むところに、え、先ほどの報告にもありましたように、えー、日本の建国の由来あるところの、天孫降臨の峰といわれる高千穂の峰から、ジャスパーという宝石のあるということを聞きまして、この宝石を、不思議のことに回り回ってわたくしどものところへ、その(咳払い)宝石の板が回ってまいりまして、これをぜひとも由緒あるところの、その高千穂の峰の石を、なんとかしてこのご本尊さまの周りだけでも、これによって飾りたいと。これは七色の色がありまして、素晴らしい光沢をもっております。ご覧のように、えー、左右の柱、え、ずーっと奥のほうの(咳払い)壁も全部、このジャスパーによって、囲んであるわけでございます。(咳払い)
ところが、(間)道場の正面から、ずーっと上の宝塔のところまで、ぜひともこの石を張らしてくれというので、この日本ジャスパー社長のモリモトシンイチさんが、もうこれは、(咳払い)えー、わたしどもの工賃さえ、加工するその工費さえくだされば、もとはタダあげるからぜひ張らせてくれ、というので、ひじょーに無理のことでございました、硬いために、160余名の工員が、昼夜三交代で3年もかかったわけですから相当無理をしていただきまして、おもてへおいでいただきますと、ずーっと上のいちばん高いところまで、えー、総体は7階でありますが、前のほうの一部8階がございます、その8階の上にまでずーっとジャスパーによって張りつめられたわけでございます。こういう問題、さらに、大勢、夏冬を問わず、暑いときも寒いときもおいでをいただいて、皆さんが修行をしてくださる、立体的の道場で7階建てでございますので、その換気、または冷暖房、こういうことに配慮を致しまして、たまたまヒートポンプによるところの、冷暖房、これによりますと、普通の冷暖房の約半額(「はんかく」と発音)くらいで、これはまだかつてこういう大殿堂に使ったことのない、大きな建物に使ったことのないようなものだそうでありますが、これを、マミアゴヘイさんという「シュウワ会社」の社長さんの発明でありまして、この新しい方法を、この道場に採用したわけでありまして、この問題も、実際に大きな道場にそれが可能であるかどうかといういろいろの心配もあったわけでありますが、これをみごとに完成を致しまして、これだけ大勢の方がおいでいただいても、冷房をかけますると、非常に気分よく、本当にこの中へお入りをいただきますれば、極楽浄土へ行ったようの気分で、お互いに自分の心のあるだけのことを、お互いに語り合う道場としてふさわしい、建設ができたわけでございます。
先ほども申し上げましたように、芝電気の社長さん、または、いま、申し上げました冷暖房の関係の方々、ジャスパーの会社の総員、え、ことごとくこの建設に関係をされました方々は、すべてのことを投げ打って、わたくしどものこの建設に真剣にご奉仕をくださいましたので、ご覧のように素晴らしい道場が、えー、8年という期限は少々長いようでありましたけれども、昨年ヨーロッパを、外遊をさせていただきましたその際に、外国の宗教建設の状態を伺いますと、驚くなかれ150年、ないしは200年かかったという建造物が各所にあるわけであります。
えー、現在はスピード時代といいますから、150年も200年もなどというと、もう始めたときからおしまいのときまでに、気持ちが変わりはしないかとも、わたくしどもは考えるんでありますが、そういうお話を伺うにつけましても、西洋の、あのキリスト教に対する信仰というものが、いかに根強いものであるか、しかもその建設はことごとく、その当時の建設としては、いちばん最先端の、新しい方式、いちばん素晴らしい方式をとられて、宗教建設には金に糸目をくれずに、建設されたことが記録に残っておりました。
こういうものを見学させていただきまして、東京におきましては、わずか8,000坪の地所ではございますが、前のほうには、わたくしどもの学校は約1万坪の地所が控えております。
この、小高い丘に、丘の上であり、しかも南傾斜のこういう地所をまたと探そうといっても、おそらく東京にはこういう地上権もないのではないかと、そういうふうに考えまして、わたくしども、先ほどの建設委員長をはじめ、各委員の者が、心血をそそいで、この全力をあげて、この聖堂建立に、努力を致したわけでございます。こうして、ただいま申し上げましたように、本尊は、久遠実成の本仏。道場は多くの皆さまの真心。えー、信者の方々のお骨折りはもとよりでありますが、不思議のことに、このお釈迦さまの尊像を飾るということになりましてから、各方面から、わたくしどもの信者以外の方々から、たくさんのご奉仕、ご協力もいただいたわけでありまして、わたしどものように新しい、まだ創立27年というような新興教団が、教団以外からたくさんのご奉仕をいただく、なんということは、これは例のないことでありまして、この方々に対して深甚なる、感謝を申し上げるとともに、わたくしどもは非常に、誇りと、思っておるわけでございます。
こうしてできました、(咳払い)道場は、お釈迦さまのご法門からいいますと、三界は我が有(う)なり、其の中の衆生悉く吾が子なり、と、またお経の中に、二もなく三もなくみな一仏乗である、諸余の経典数恒沙の如し。お経は数あるけれども、その中で二もなく三もなく、みんな一仏乗だとおおせになっておる。三界ということはご承知のように、われわれの地球の上の世界などというものでなくて、宇宙全体をさしての言葉でございます。
そうしますると、その「三界は我が有なり」というところの大親(おおおや)であるところの、その本仏を勧請し、多くの方々の、善意、真心によってその真心の結晶としてできたところのこの道場は、もはや佼成会の道場というものにとどまるものでなく、世界人類救済の道場と、ならなければならないと思うのであります。(一同 拍手)
ここにおきまして、わたくしども佼成会員は、ただ佼成会という殻から一歩前進を致しまして、このみ仏の大乗の精神をもって、今日(こんにち)のように、世界のあらゆる場所に、お互いの理解のできないような、想像もつかないような悪が、あちらにもこちらにも現われております。え、この状態をご覧になって、現在の政府も、「人づくり」ということ掲げられました。
佼成会は、27年前に始めたときから、第一番に、一人ひとりの個人の人格の完成、さらに家庭の和合、社会の浄化、ひいては、国家の繁栄、そして、世界の平和を目的と致しまして、できたものでございます。わたしどもが大きく、世界の平和を唱えても、家庭の中に不和があったり、お互いに、争いや憎しみの世界には、平和はこないと思うのであります。そこで、この憎しみや争いをなくするのには、いかにするべきかと、この方法は、あらゆる角度から、いろいろの角度から、教育がいけないとか、政治がいけないとか、いろいろの関係もございましょう、しかし、これはお互いに普遍の、永遠の生命(せいめい)に目ざめたところの、普遍の教えというものを信奉しないかぎりこの解決はつかないと思うのであります。(一同 拍手)
そういう意味におきまして、時間、空間を超越致しましたところの、久遠実成の本仏のみ働き、この、お互いに、真心からなる、慈悲の活動、菩薩道を中心としましたところの、人間改造をしないことには、平和はこないと思うのであります。
そういう意味で、わたくしどもはこの道場を、全人類に対して差し上げました。お互いにこの場を、その根本仏教の道場として、長くこの世に、その使命を果たすことを皆さまにお約束を申し上げる次第でございます。(一同 拍手)
本日おいでをいただきました、全国から、われわれの会をご理解いただきまして、また、ご支援をくださいました来賓各位さまの前に、あまり感激のために意を尽くしませんが、どうぞ今後とも、お互いに正しい仏教によりますところの、人間の改造による世界平和の実現の日のくるまで、皆さま方のご協力、ご指導を、お願い申し上げまして、ごあいさつに代える次第でございます。(一同 拍手)どうも、 (音声途切れ)