Founder Dharma Guidance Text "Isshin" 1983 the Otaiya service
本日は、日蓮大聖人がご入滅になられてから七百二回目のお逮夜法要を迎えるという、悲しい日でございます。
しかし、〝生あるものは必ず死す〟という道理をよくわきまえると、きょうは決して悲しいとか、不幸だということだけではありません。
日蓮聖人さまの生涯は、大難四ヵ度、小難数知れずと言われますように、ご苦難の多い六十年の生涯であったわけです。
普通の人々は、教えのとおりに生きることができず、心の改革ができないためにいろいろな困難が押し寄せて、そのために常に苦労が絶えないのです。
しかし、日蓮聖人は法のままに正直に生きようとされ、さらに正法を正しく世の中に広めようとされ、さまざまなご難に遭われたのです。教えに生命を賭した日蓮聖人
当時、日本の仏教を強烈に批判し、さらに時の北条執権に対して意見を唱えた人は、日蓮聖人のほかにおられません。
日蓮聖人は、国家の安泰を切望されて時の北条執権に対して、「汝、信仰の寸心を改めて、速やかに実乗の一善に帰せよ」と、わが身の危難をも顧みず命がけで諌めたのです。
ところが、この諫言(かんげん)は幕府の怒りにふれて、佐渡に島流しの身となったわけです。
このように、日蓮聖人さまの六十年の生涯は、教えのとおり正直に生き、教えに生命を賭(と)した生涯であったわけです。私たちは、このような日蓮聖人の生き方を学ばなければなりません。
そして、日蓮聖人のご入滅後七百年たった今日、その姿勢が問われているわが国の政治家に対しても、私どもは正法に目覚めていただくよう、はっきりと意見を申し上げなければならない、と思います。娑婆で悟りを開かれた仏さま
凡夫というものは仕方のない者でありますが、しかし煩悩即菩提と言われますように、そのような凡夫があって、また悟られた仏さまがあるわけです。
お経文を拝読いたしますと、仏さまは、私たちと同じように、この娑婆でお生まれになり、この娑婆で悟りを開かれました。
そして、法華経をお説きになられ、最後には、この娑婆でご入滅になられたということが、「道場観」の中に説かれています。
日蓮聖人のご生涯も、これと同じであったと思います。
つまり、「世法即仏法」ということであります。本日は、日蓮大聖人がご入滅になられてから七百二回目のお逮夜法要を迎えるという、悲しい日でございます。
しかし、〝生あるものは必ず死す〟という道理をよくわきまえると、きょうは決して悲しいとか、不幸だということだけではありません。
日蓮聖人さまの生涯は、大難四ヵ度、小難数知れずと言われますように、ご苦難の多い六十年の生涯であったわけです。
普通の人々は、教えのとおりに生きることができず、心の改革ができないためにいろいろな困難が押し寄せて、そのために常に苦労が絶えないのです。
しかし、日蓮聖人は法のままに正直に生きようとされ、さらに正法を正しく世の中に広めようとされ、さまざまなご難に遭われたのです。教えに生命を賭した日蓮聖人
当時、日本の仏教を強烈に批判し、さらに時の北条執権に対して意見を唱えた人は、日蓮聖人のほかにおられません。
日蓮聖人は、国家の安泰を切望されて時の北条執権に対して、「汝、信仰の寸心を改めて、速やかに実乗の一善に帰せよ」と、わが身の危難をも顧みず命がけで諌めたのです。
ところが、この諫言(かんげん)は幕府の怒りにふれて、佐渡に島流しの身となったわけです。
このように、日蓮聖人さまの六十年の生涯は、教えのとおり正直に生き、教えに生命を賭(と)した生涯であったわけです。私たちは、このような日蓮聖人の生き方を学ばなければなりません。
そして、日蓮聖人のご入滅後七百年たった今日、その姿勢が問われているわが国の政治家に対しても、私どもは正法に目覚めていただくよう、はっきりと意見を申し上げなければならない、と思います。娑婆で悟りを開かれた仏さま
凡夫というものは仕方のない者でありますが、しかし煩悩即菩提と言われますように、そのような凡夫があって、また悟られた仏さまがあるわけです。
お経文を拝読いたしますと、仏さまは、私たちと同じように、この娑婆でお生まれになり、この娑婆で悟りを開かれました。
そして、法華経をお説きになられ、最後には、この娑婆でご入滅になられたということが、「道場観」の中に説かれています。
日蓮聖人のご生涯も、これと同じであったと思います。
つまり、「世法即仏法」ということであります。全ての業を捨てた時に成仏が
お釈迦さまの十大弟子の方々は、長い間お釈迦さまのお側で修行をされましたが、なかなか成仏に至らなかった人たちもおった。
しかし、「提婆品」の中には八歳の竜女が、まばたきをする間に成仏した、と説かれてあります。
竜女とは、畜身であり、しかも八歳の女の子が成仏したということはなぜかと申しますと、それは〝心の改革〟なのです。
自分の心が仏さまのみ心のとおりにスカッとして、すべての業を捨ててきれいな気持に心を変えた時、即座に成仏できるというのであります。
「譬諭品」の『三車火宅の譬え』、あるいは、「信解品」の『長者窮子の譬え』などからもわかりますように、仏さまの大慈大悲によりまして、いかに業の深い者であっても、みんな救ってあげたいということが、経文に説かれているのです。
また、仏さまは四十余年いまだ真実現さずというように、最初は方便力によって私たちを導き、そして、機根の整ったところで真実の法華経をお説きになられた、ということが「信解品」に説かれています。まず宗教者が異体同心となる
仏さまの教えは、本当に真心で自分というものを無私にして精進するならば、望まなかった大きな宝を頂くことができるということです。
宝とは、金、銀というものではなく、本当の心の宝ということであり、つまり、真の救われということです。
私どもは、日蓮聖人さまのみ心を体して、世の中の間違ったことに対しては堂々と意見を述べ、世の中に正法を広めなければなりません。
そして、世界中の人々が幸せになるために、まず宗教家が異体同心となって活動を展開する努力が必要であります。
そういう意味で私どもは、現在、世界中の宗教家の方々と手をたずさえて、世界平和のために努力いたしております。
そのことを立証するごとく、先日(十月六日)は韓国において、大韓佛教法華宗と本会との僧伽結縁の調印が行われました。
そして、本日はその契りを結んだ大韓佛教法華宗の朴泰淑師はじめ五人の方々がお見えくださり、またオーストラリアの英国国教会のジョージ・A・マリンズ博士はじめ二十三人のご来賓を、本日の式典にお迎えいたしております。
マリンズ博士は、本会の法座の中の心の交流を通じて、仏教の働き、生きている法の姿などをご覧になりたいということで、来会されておられます。全ての業を捨てた時に成仏が
お釈迦さまの十大弟子の方々は、長い間お釈迦さまのお側で修行をされましたが、なかなか成仏に至らなかった人たちもおった。
しかし、「提婆品」の中には八歳の竜女が、まばたきをする間に成仏した、と説かれてあります。
竜女とは、畜身であり、しかも八歳の女の子が成仏したということはなぜかと申しますと、それは〝心の改革〟なのです。
自分の心が仏さまのみ心のとおりにスカッとして、すべての業を捨ててきれいな気持に心を変えた時、即座に成仏できるというのであります。
「譬諭品」の『三車火宅の譬え』、あるいは、「信解品」の『長者窮子の譬え』などからもわかりますように、仏さまの大慈大悲によりまして、いかに業の深い者であっても、みんな救ってあげたいということが、経文に説かれているのです。
また、仏さまは四十余年いまだ真実現さずというように、最初は方便力によって私たちを導き、そして、機根の整ったところで真実の法華経をお説きになられた、ということが「信解品」に説かれています。まず宗教者が異体同心となる
仏さまの教えは、本当に真心で自分というものを無私にして精進するならば、望まなかった大きな宝を頂くことができるということです。
宝とは、金、銀というものではなく、本当の心の宝ということであり、つまり、真の救われということです。
私どもは、日蓮聖人さまのみ心を体して、世の中の間違ったことに対しては堂々と意見を述べ、世の中に正法を広めなければなりません。
そして、世界中の人々が幸せになるために、まず宗教家が異体同心となって活動を展開する努力が必要であります。
そういう意味で私どもは、現在、世界中の宗教家の方々と手をたずさえて、世界平和のために努力いたしております。
そのことを立証するごとく、先日(十月六日)は韓国において、大韓佛教法華宗と本会との僧伽結縁の調印が行われました。
そして、本日はその契りを結んだ大韓佛教法華宗の朴泰淑師はじめ五人の方々がお見えくださり、またオーストラリアの英国国教会のジョージ・A・マリンズ博士はじめ二十三人のご来賓を、本日の式典にお迎えいたしております。
マリンズ博士は、本会の法座の中の心の交流を通じて、仏教の働き、生きている法の姿などをご覧になりたいということで、来会されておられます。日蓮聖人の精神を体する事が
七百二年前、日蓮聖人はお亡くなりになり、お体は滅してしまったわけですが、そのみ霊は永遠に法華経行者の心に生き続けております。
正しい法華経の精神によって、すべての人々に幸せになっていただきたいと念願する私どもは、日蓮聖人の精神を体してその後に続き、そして、常寂光土建設への決意を、常に新たにしなければなりません。
私たち一人一人が心の改革を果たし、仏さまのみ心に一歩でも近づこうという努力をすれば、たちまち常寂光土は建設できるはずです。
いろいろな迷いがあり、いろいろの苦労があり、「濁世」といわれるように、濁ったようなこの闇の世を、隅々まで万灯の光のごとく、ご法によって正しく仏の光を与えようという万灯行進が、本日行われるわけでございます。
そういう意味におきまして、会員一同が、日蓮大聖人のご遺徳を偲ぶと共に、正しいご法の精神に立ち返り、お導きをさせてもらわなければならないと思うのであります。日蓮聖人の精神を体する事が
七百二年前、日蓮聖人はお亡くなりになり、お体は滅してしまったわけですが、そのみ霊は永遠に法華経行者の心に生き続けております。
正しい法華経の精神によって、すべての人々に幸せになっていただきたいと念願する私どもは、日蓮聖人の精神を体してその後に続き、そして、常寂光土建設への決意を、常に新たにしなければなりません。
私たち一人一人が心の改革を果たし、仏さまのみ心に一歩でも近づこうという努力をすれば、たちまち常寂光土は建設できるはずです。
いろいろな迷いがあり、いろいろの苦労があり、「濁世」といわれるように、濁ったようなこの闇の世を、隅々まで万灯の光のごとく、ご法によって正しく仏の光を与えようという万灯行進が、本日行われるわけでございます。
そういう意味におきまして、会員一同が、日蓮大聖人のご遺徳を偲ぶと共に、正しいご法の精神に立ち返り、お導きをさせてもらわなければならないと思うのであります。