Founder Dharma Guidance Text "Gudo" 1978 Nichiren Shonin the Otaiya service
法華経弘通の生涯
皆さま、本日はおめでとうございます。
おめでとうございますと申し上げましたが、本来は日蓮聖人のご入滅の日でありまして、私ども弟子といたしますと、一つの一生の区切りをつけた日です。ある意味では、悲しい日でもあったわけです。しかし法門によりますと、いよいよ生身の体を滅にして、不滅の生命に変わったことになるわけでございます。そのお逮夜を迎えまして、しかも本年は六九七回という年回にも当たっているわけでございます。天気予報では、何か雨の来そうなことを昨日まで言っておりました。皆さんの本当の真心でする、このお会式の行事が雨に降られたのでは大変だと思って、心配をしておりましたが、お陰さまでだんだんと明るくなってまいりました。行事は順調に進めるものと確信をもてるようになったわけでございます。
毎年のお会式でありますが、七百年を三年後に迎えるという時期、そして今も啓白文に奏上いたしましたように、この世界万国に法華経というものを広めようという日蓮聖人の大願が、七百年たって、今年初めて世界中の代表にお題目の精神というもの――人種は違っても、国境を超えて異体同心で、この妙法蓮華経に帰依しようではないかということを呼びかける機会を国連において、六月十二日にそういうお手配がついたのです。
こういうことを考えてみますと、七百年というこの年月は、長いといえば長い、短いといえば短いわけでありますが、仏教には七百年周期説というのがあるというようなことを鴨宮成介氏が言われました。はからずも、過去の仏教者の集まりの際に、インドの宗教大臣が日本においでになりまして、仏教の七百年周期説を発表されたのです。学者の言うことと全く期を一にしているものだなと不思議に思ったわけであります。
そういう意味から申しますと、本当に時のしからしめるのみで、この時が来ませんと、日蓮聖人の時代には正法を弘通するために、法難数知れずというようにあったわけです。大難四箇度、小難数知れずというように、難は始終あり、命に及ぶような難が四回もあったわけです。この法華経弘通のために大変なご苦労をされたのです。その大難小難を乗り越えて、法華経弘通の使命観を私どもにお残し下さったのです。そのみ心を我々が奉戴して、私どもがお会式という行事を始めたのが昭和二十四年だということであります。法華経弘通の生涯
皆さま、本日はおめでとうございます。
おめでとうございますと申し上げましたが、本来は日蓮聖人のご入滅の日でありまして、私ども弟子といたしますと、一つの一生の区切りをつけた日です。ある意味では、悲しい日でもあったわけです。しかし法門によりますと、いよいよ生身の体を滅にして、不滅の生命に変わったことになるわけでございます。そのお逮夜を迎えまして、しかも本年は六九七回という年回にも当たっているわけでございます。天気予報では、何か雨の来そうなことを昨日まで言っておりました。皆さんの本当の真心でする、このお会式の行事が雨に降られたのでは大変だと思って、心配をしておりましたが、お陰さまでだんだんと明るくなってまいりました。行事は順調に進めるものと確信をもてるようになったわけでございます。
毎年のお会式でありますが、七百年を三年後に迎えるという時期、そして今も啓白文に奏上いたしましたように、この世界万国に法華経というものを広めようという日蓮聖人の大願が、七百年たって、今年初めて世界中の代表にお題目の精神というもの――人種は違っても、国境を超えて異体同心で、この妙法蓮華経に帰依しようではないかということを呼びかける機会を国連において、六月十二日にそういうお手配がついたのです。
こういうことを考えてみますと、七百年というこの年月は、長いといえば長い、短いといえば短いわけでありますが、仏教には七百年周期説というのがあるというようなことを鴨宮成介氏が言われました。はからずも、過去の仏教者の集まりの際に、インドの宗教大臣が日本においでになりまして、仏教の七百年周期説を発表されたのです。学者の言うことと全く期を一にしているものだなと不思議に思ったわけであります。
そういう意味から申しますと、本当に時のしからしめるのみで、この時が来ませんと、日蓮聖人の時代には正法を弘通するために、法難数知れずというようにあったわけです。大難四箇度、小難数知れずというように、難は始終あり、命に及ぶような難が四回もあったわけです。この法華経弘通のために大変なご苦労をされたのです。その大難小難を乗り越えて、法華経弘通の使命観を私どもにお残し下さったのです。そのみ心を我々が奉戴して、私どもがお会式という行事を始めたのが昭和二十四年だということであります。身延山と門下協議会
昭和二十四年という、その時を聞きますと、二十三年頃から私が身延山に、お題目を唱える者がまず一つになって仏教の統一をはかるべきではないかと、それには、とりあえずお題目を唱える者、法華経を所依の経典とする者が一つになろうじゃないか、そうすべきじゃなかろうかと提案したのであります。身延山でも、それはまことに結構なことだということで、賛成であったわけです。それで霊友会から別れた方など、妙智会、仏所護念会にも勧誘いたしまして、それで日蓮門下が一つ協議会としてできたのです。それが二十四年でございました。
それまでは、霊友会から別れて私どもは佼成会を形成して、その影響で、それほど日蓮というものを打ち出すよりも、ある意味では釈迦宗というような言葉で、日蓮聖人をそれほど重きを置かなかったわけです。ところが終戦の年の神さまのご神示で、それまでは法華経以外の何ものも読んではいけない――新聞も雑誌も読んではいけないといわれました。日蓮聖人のご遺文くらいは読んでもよかろうと思うと、妙佼先生に神さまのご降臨で、だいぶおしかりを受けたのです。おまえにはわかる時が来るというようなことを言われて、法華経の経典以外は絶対読んではいけないという修行をずっとやっていたのであります。そして終戦の年の二月十五日、お釈迦さまのご命日に神さまがご降臨になられて、今日からご遺文を読んでもいいというお許しを得たのです。
むさぼるようにご遺文を拝読しますと、私どものごたごたしていることなんか、何ということはない。皆さんと一緒に法華経を行じて幸せになりましょうというので、法華経の通りに行ずれば必ず結果が出るのであると、私どもは真剣に行じていたのでありますが、そのことを日蓮聖人が全くそれはもう、私どもが苦しんでいる問題をずばりご指南になっているのです。ご遺文を読んでいて、ここにこんなご指導があったのかという驚きをなしてご遺文を拝読し、そして日蓮聖人のみ心を体してということになると、お題目を唱えている者がこんなに大勢日本にはいるのに、ばらばらではだめだ。まずお題目を唱える者が一緒になって、そこから仏教を一つにして、そして国を救う――そういう考え方にならなくてはいかんなという、私特有の大それた考えを起こしました。日蓮宗も何も一緒になろうということになれば、立正佼成会など、なくてもいいわけです。立正佼成会とか霊友会とか妙智会というようなことでなく、もう法華経に帰依し、日蓮聖人のご指南のもとに我々は行じればいいんだというような純粋な気持で、私は真剣になっていたのであります。終戦を迎え、それから二、三年煩悶していたことを身延山に行って申し上げたところ、その通りだといって取り入れて下さったのですね。そして喜んで皆さんと門下協議会をつくったわけです。身延山と門下協議会
昭和二十四年という、その時を聞きますと、二十三年頃から私が身延山に、お題目を唱える者がまず一つになって仏教の統一をはかるべきではないかと、それには、とりあえずお題目を唱える者、法華経を所依の経典とする者が一つになろうじゃないか、そうすべきじゃなかろうかと提案したのであります。身延山でも、それはまことに結構なことだということで、賛成であったわけです。それで霊友会から別れた方など、妙智会、仏所護念会にも勧誘いたしまして、それで日蓮門下が一つ協議会としてできたのです。それが二十四年でございました。
それまでは、霊友会から別れて私どもは佼成会を形成して、その影響で、それほど日蓮というものを打ち出すよりも、ある意味では釈迦宗というような言葉で、日蓮聖人をそれほど重きを置かなかったわけです。ところが終戦の年の神さまのご神示で、それまでは法華経以外の何ものも読んではいけない――新聞も雑誌も読んではいけないといわれました。日蓮聖人のご遺文くらいは読んでもよかろうと思うと、妙佼先生に神さまのご降臨で、だいぶおしかりを受けたのです。おまえにはわかる時が来るというようなことを言われて、法華経の経典以外は絶対読んではいけないという修行をずっとやっていたのであります。そして終戦の年の二月十五日、お釈迦さまのご命日に神さまがご降臨になられて、今日からご遺文を読んでもいいというお許しを得たのです。
むさぼるようにご遺文を拝読しますと、私どものごたごたしていることなんか、何ということはない。皆さんと一緒に法華経を行じて幸せになりましょうというので、法華経の通りに行ずれば必ず結果が出るのであると、私どもは真剣に行じていたのでありますが、そのことを日蓮聖人が全くそれはもう、私どもが苦しんでいる問題をずばりご指南になっているのです。ご遺文を読んでいて、ここにこんなご指導があったのかという驚きをなしてご遺文を拝読し、そして日蓮聖人のみ心を体してということになると、お題目を唱えている者がこんなに大勢日本にはいるのに、ばらばらではだめだ。まずお題目を唱える者が一緒になって、そこから仏教を一つにして、そして国を救う――そういう考え方にならなくてはいかんなという、私特有の大それた考えを起こしました。日蓮宗も何も一緒になろうということになれば、立正佼成会など、なくてもいいわけです。立正佼成会とか霊友会とか妙智会というようなことでなく、もう法華経に帰依し、日蓮聖人のご指南のもとに我々は行じればいいんだというような純粋な気持で、私は真剣になっていたのであります。終戦を迎え、それから二、三年煩悶していたことを身延山に行って申し上げたところ、その通りだといって取り入れて下さったのですね。そして喜んで皆さんと門下協議会をつくったわけです。しかし、つくったその後に、一年ほどしまして、お会式も始めるような勢いになって、だんだんと接近していった二十三年から二十五年になりますと、破門ということになってしまったのです。そういうことで、その時はだいぶいろいろの問題がありましたが、これはやはり何と言いますか、既成の教団と新しい教団との深い因縁といいますか、いい方もあるし、悪因縁の方もあるわけですが、どうしても一致しないところにぶつかってしまいました。そこで起こってきたのが今私どもが所属しております新宗連でございます。
その破門になる前までは、おまえの言うことは本当に一番いいということで、とんで歩けと、方々、この門下をとんで歩いたものです。日本山妙法寺のうちわ太鼓の題目も、霊友会の分派もみんな集めて門下協議会を開くというところまで、大変とんとん拍子に行ったと思ったのが、今度は諸宗教との統一問題、まあ統一というのではないけれど、諸宗教の一つの理解をし合うということになって、それが今日までずっと続いてきて、考えてみますと、やはりそれはそれなりのいろいろな意義があって、七百年もつながった仏教がそんな簡単に、私どもの思うように改革もできなかったのでございましょう。
今日になって、四十年の佼成会でも、なかなか一つのことを改正しようとするのには相当の決断がいります。そういうことを思いますと、あまり大それた、七百年も伝統のあったものを一ペんに私どもの考えている純粋なものに変えようという心を起こしたことが、まことにどうもおろかであったと反省懺悔をしました。伝統のある宗教をどうしよう、こうしようなんていう考えを起こしたことは大間違いだと反省をいたしまして、そこで新しい宗教の協力を進めるということに尽力してきたのであります。しかし、つくったその後に、一年ほどしまして、お会式も始めるような勢いになって、だんだんと接近していった二十三年から二十五年になりますと、破門ということになってしまったのです。そういうことで、その時はだいぶいろいろの問題がありましたが、これはやはり何と言いますか、既成の教団と新しい教団との深い因縁といいますか、いい方もあるし、悪因縁の方もあるわけですが、どうしても一致しないところにぶつかってしまいました。そこで起こってきたのが今私どもが所属しております新宗連でございます。
その破門になる前までは、おまえの言うことは本当に一番いいということで、とんで歩けと、方々、この門下をとんで歩いたものです。日本山妙法寺のうちわ太鼓の題目も、霊友会の分派もみんな集めて門下協議会を開くというところまで、大変とんとん拍子に行ったと思ったのが、今度は諸宗教との統一問題、まあ統一というのではないけれど、諸宗教の一つの理解をし合うということになって、それが今日までずっと続いてきて、考えてみますと、やはりそれはそれなりのいろいろな意義があって、七百年もつながった仏教がそんな簡単に、私どもの思うように改革もできなかったのでございましょう。
今日になって、四十年の佼成会でも、なかなか一つのことを改正しようとするのには相当の決断がいります。そういうことを思いますと、あまり大それた、七百年も伝統のあったものを一ペんに私どもの考えている純粋なものに変えようという心を起こしたことが、まことにどうもおろかであったと反省懺悔をしました。伝統のある宗教をどうしよう、こうしようなんていう考えを起こしたことは大間違いだと反省をいたしまして、そこで新しい宗教の協力を進めるということに尽力してきたのであります。ご遺文に感激、そしてお会式
そういうことを思いますと、お題目を唱える日蓮聖人の弟子ならば、日蓮聖人のお会式というものをして、関東の人にわからせるためには太鼓をたたいて――お会式の行事のようなことで、多くの人に法華経の認識をしてもらうためには、この行進もいいじゃないかというので、初めて行なってから二十八年になっているということでございます。
ですから、佼成会のお会式もすぐ始まったのではなくて、中途でそのような、法華経以外は読んでいかんというご神示が出て、そしてその後、ご遺文だけは読んでもいいというお許しが出たわけです。読んでみると、感激して飛び上がって、日本人でありますから日蓮聖人をお手本にしたら、お釈迦さまのお説きになったのでは非常に遠いような感じがして、ところが日蓮さまですと全く直に、日本人としてすぐにわかる言葉でお示しになってあるのです。ですから感激いたしまして、こんなすばらしいお祖師さまが出て、そのあとのいろいろの形で分派が起こったりしているけれども、これは、日蓮さまのところに一つになるべきだという考えで、日蓮門下で私はべつに宗教団体をつくろうなんていう考えよりも、その方が完ペきだと思ったのでありました。しかし、まあそれができないで、今日になってしまったということでありました。
これは、よく考えてみると、どちらがよかったのか、これはまだわからず、後日歴史が決めることでございましょう。私どもが今ここでじたばた言ってもどうしようもないし、一緒になろうなんていうと、かえって問題がこじれる可能性をもっておるのであります。
幸いに、そういう意味からしますと、法華経というお経は、お釈迦さま出世本懐の義だといいますが、このお経の中にはあらゆる問題を方便という言葉で、万億の方便をもって人間のとらわれから解放してやるという文があるわけであります。我々には、こういうものだ、ああいうものだというとらわれがあります。実相に向かって、諸法の実相に向かって、とらわれなく、すべてのものから解放されなければならんのであります。悟りを開いたというのは、そういうことになるのであります。ですから、長い伝統があると、なかなか伝統のこだわりがあったり、いろいろして離れにくいのです。ご遺文に感激、そしてお会式
そういうことを思いますと、お題目を唱える日蓮聖人の弟子ならば、日蓮聖人のお会式というものをして、関東の人にわからせるためには太鼓をたたいて――お会式の行事のようなことで、多くの人に法華経の認識をしてもらうためには、この行進もいいじゃないかというので、初めて行なってから二十八年になっているということでございます。
ですから、佼成会のお会式もすぐ始まったのではなくて、中途でそのような、法華経以外は読んでいかんというご神示が出て、そしてその後、ご遺文だけは読んでもいいというお許しが出たわけです。読んでみると、感激して飛び上がって、日本人でありますから日蓮聖人をお手本にしたら、お釈迦さまのお説きになったのでは非常に遠いような感じがして、ところが日蓮さまですと全く直に、日本人としてすぐにわかる言葉でお示しになってあるのです。ですから感激いたしまして、こんなすばらしいお祖師さまが出て、そのあとのいろいろの形で分派が起こったりしているけれども、これは、日蓮さまのところに一つになるべきだという考えで、日蓮門下で私はべつに宗教団体をつくろうなんていう考えよりも、その方が完ペきだと思ったのでありました。しかし、まあそれができないで、今日になってしまったということでありました。
これは、よく考えてみると、どちらがよかったのか、これはまだわからず、後日歴史が決めることでございましょう。私どもが今ここでじたばた言ってもどうしようもないし、一緒になろうなんていうと、かえって問題がこじれる可能性をもっておるのであります。
幸いに、そういう意味からしますと、法華経というお経は、お釈迦さま出世本懐の義だといいますが、このお経の中にはあらゆる問題を方便という言葉で、万億の方便をもって人間のとらわれから解放してやるという文があるわけであります。我々には、こういうものだ、ああいうものだというとらわれがあります。実相に向かって、諸法の実相に向かって、とらわれなく、すべてのものから解放されなければならんのであります。悟りを開いたというのは、そういうことになるのであります。ですから、長い伝統があると、なかなか伝統のこだわりがあったり、いろいろして離れにくいのです。そこで、何を目標にして離れるかということでありますが、それは法文を拝読すればわかりますように、とにかく創立して八年間は全然法華経以外読んでいかんというわけで、新聞も雑誌も読めない、目のふれることのできない状態を、私は八年間神さまから申しつけられたのです。そして、読んでいいというお許しが出て、喜んで読んでみると、読みたいもの、聞きたいもの、知りたいもの、みんな教えてくれるのが、日蓮聖人のあのご遺文であります。いやあ、飛び上がって喜んだのでありますが、これがなかなかそう簡単にいかないということを、一つの体験を通して感じたわけです。日蓮聖人に私どもはありがたいご指南を頂きたいという崇拝、尊崇して、日蓮聖人のご精神を奉戴して精進したいと、そういう気持がこのお会式になって現われたわけであります。
そういう意味で、だんだんと一歩一歩と進んでいるうちに、ご神示で法華経が佼成会を本として世界万国に弘まるべしとあったのです。この言葉はなかなか信じられなくて、神さまに――おだててもだめだと、そんな佼成会が本となるなんて、ちょっと違いますよ。私どもの読んでいるこのお経は羅什三蔵の翻訳したものであるし、それが天台を通じて、日蓮聖人を通じて、今日我々のところへ来ている。そこへ来るまでには、霊友会という会も介在しているし、いろいろの先輩があるのに、佼成会を本としてなんていうことは、ちょっと飛躍し過ぎるのではないかという――こういう疑いがあったわけです。
ところが、だんだん時がたつにつれて、不思議に、佼成会を通じて世界万国に、日本の仏教を聞きたい、教えを修めたい、そういう気持が世界中に起こった時に、今日こうして国連において発表しても、昔の日蓮聖人の時と違って法難もなけれぼ、皆賛成して〝なるほど〟ということになっていくような時が来たという、本当にこのご法というものも、時のしからしめるものだなということが、今日になってみますと、神さまのご指導が全くその通りであったのだなということが納得いくのであります。そういうように、私どもは神さまのご指示のままに修行させて頂いておるわけです。
そして、たまたま日蓮聖人のご遺文を読ませて頂いたおかげで、お会式という行事が生まれてきたのです。その日蓮聖人をお慕い申し上げて、二陣、一二陣続けよかし、とこの万灯行列で法華経を広宣流布する雄々しい姿を、若人にがんばってもらおうと、そういうことで私どものお会式を形づくってきたのであります。そこで、何を目標にして離れるかということでありますが、それは法文を拝読すればわかりますように、とにかく創立して八年間は全然法華経以外読んでいかんというわけで、新聞も雑誌も読めない、目のふれることのできない状態を、私は八年間神さまから申しつけられたのです。そして、読んでいいというお許しが出て、喜んで読んでみると、読みたいもの、聞きたいもの、知りたいもの、みんな教えてくれるのが、日蓮聖人のあのご遺文であります。いやあ、飛び上がって喜んだのでありますが、これがなかなかそう簡単にいかないということを、一つの体験を通して感じたわけです。日蓮聖人に私どもはありがたいご指南を頂きたいという崇拝、尊崇して、日蓮聖人のご精神を奉戴して精進したいと、そういう気持がこのお会式になって現われたわけであります。
そういう意味で、だんだんと一歩一歩と進んでいるうちに、ご神示で法華経が佼成会を本として世界万国に弘まるべしとあったのです。この言葉はなかなか信じられなくて、神さまに――おだててもだめだと、そんな佼成会が本となるなんて、ちょっと違いますよ。私どもの読んでいるこのお経は羅什三蔵の翻訳したものであるし、それが天台を通じて、日蓮聖人を通じて、今日我々のところへ来ている。そこへ来るまでには、霊友会という会も介在しているし、いろいろの先輩があるのに、佼成会を本としてなんていうことは、ちょっと飛躍し過ぎるのではないかという――こういう疑いがあったわけです。
ところが、だんだん時がたつにつれて、不思議に、佼成会を通じて世界万国に、日本の仏教を聞きたい、教えを修めたい、そういう気持が世界中に起こった時に、今日こうして国連において発表しても、昔の日蓮聖人の時と違って法難もなけれぼ、皆賛成して〝なるほど〟ということになっていくような時が来たという、本当にこのご法というものも、時のしからしめるものだなということが、今日になってみますと、神さまのご指導が全くその通りであったのだなということが納得いくのであります。そういうように、私どもは神さまのご指示のままに修行させて頂いておるわけです。
そして、たまたま日蓮聖人のご遺文を読ませて頂いたおかげで、お会式という行事が生まれてきたのです。その日蓮聖人をお慕い申し上げて、二陣、一二陣続けよかし、とこの万灯行列で法華経を広宣流布する雄々しい姿を、若人にがんばってもらおうと、そういうことで私どものお会式を形づくってきたのであります。真心の万灯、法の道を照らす
本部を中心にして、新宿あたりからやっていこうかということもあったのでありますが、最近では、そういうことはできないので、地元の杉並警察、中野警察の特別のおはからいを得まして、ご協力を頂きまして、私どもの行列のために道路をあけて頂いたのです。大衆の歩く道を四時間も独占して行列をやろうというのですから、これは大変なことでございます。そういうことを認めて頂いているという私どもの行事というものも、神さまのおはからいばかりでなしに、この地上の凡夫のいろいろの約束事も実ってこないと、お会式の万灯行列さえ、なかなか不可能な時代であり、そういう時代苦があるわけです。そういうことを皆ふみ越えて、また皆さまのご協力を頂いて、万灯行列ができるのです。
万灯ということも、ご承知のように、お釈迦さまのお通りになる道で、夜足下を照らすために万灯をつけたというのです。その万灯も、お金のある人は立派な万灯を飾られたのであります。ところが、たまたまお釈迦さまがお通りになろうとする一番大事なところへきて、風が吹いて立派な万灯がみんな消えてしまったのです。でも、お釈迦さまのために何かさせて頂きたいということで、自分の髪を売ってわずかの油をともしたという貧女の一灯だけは消えなかったというのです。貧女の一灯という言葉はそこから生まれたというのでありますが、これは信心による真心でなければ、仏さまはお受け取りにならないということを強く教えているわけであります。
そしてその真心というものは、何もない人が命の次に大切にしているような女の髪を切って、おしげもなく油にかえたのであり、その油の灯は大風が吹いても消えなかったというわけで、その貧女の一灯をも含めた、ご法の道を照らす万灯であります。これが、万灯行列というものができた一つの機縁でございます。そういう意味から私どもは、お互いさまに仏さまに帰依する、三宝に帰依する真心で万灯行列をし、そもてその万灯行列に意気揚々とその若人が威勢よく歩く、そのような自信満々で、あの浮き上がるような大感激でもって行進するという、そういう万灯行列が行なわれるわけでございます。
これもやはり、東京に池上本門寺というのがあるのですが、そこは日蓮聖人が一生涯を閉じた霊場となったわけでありまして、そこを中心に、東京の威勢のいい方が万灯行列をするというようなことが生まれてきたわけであります。そういう伝統にあやかって始めたこの万灯行列が、もう二十八年を数えたということであります。真心の万灯、法の道を照らす
本部を中心にして、新宿あたりからやっていこうかということもあったのでありますが、最近では、そういうことはできないので、地元の杉並警察、中野警察の特別のおはからいを得まして、ご協力を頂きまして、私どもの行列のために道路をあけて頂いたのです。大衆の歩く道を四時間も独占して行列をやろうというのですから、これは大変なことでございます。そういうことを認めて頂いているという私どもの行事というものも、神さまのおはからいばかりでなしに、この地上の凡夫のいろいろの約束事も実ってこないと、お会式の万灯行列さえ、なかなか不可能な時代であり、そういう時代苦があるわけです。そういうことを皆ふみ越えて、また皆さまのご協力を頂いて、万灯行列ができるのです。
万灯ということも、ご承知のように、お釈迦さまのお通りになる道で、夜足下を照らすために万灯をつけたというのです。その万灯も、お金のある人は立派な万灯を飾られたのであります。ところが、たまたまお釈迦さまがお通りになろうとする一番大事なところへきて、風が吹いて立派な万灯がみんな消えてしまったのです。でも、お釈迦さまのために何かさせて頂きたいということで、自分の髪を売ってわずかの油をともしたという貧女の一灯だけは消えなかったというのです。貧女の一灯という言葉はそこから生まれたというのでありますが、これは信心による真心でなければ、仏さまはお受け取りにならないということを強く教えているわけであります。
そしてその真心というものは、何もない人が命の次に大切にしているような女の髪を切って、おしげもなく油にかえたのであり、その油の灯は大風が吹いても消えなかったというわけで、その貧女の一灯をも含めた、ご法の道を照らす万灯であります。これが、万灯行列というものができた一つの機縁でございます。そういう意味から私どもは、お互いさまに仏さまに帰依する、三宝に帰依する真心で万灯行列をし、そもてその万灯行列に意気揚々とその若人が威勢よく歩く、そのような自信満々で、あの浮き上がるような大感激でもって行進するという、そういう万灯行列が行なわれるわけでございます。
これもやはり、東京に池上本門寺というのがあるのですが、そこは日蓮聖人が一生涯を閉じた霊場となったわけでありまして、そこを中心に、東京の威勢のいい方が万灯行列をするというようなことが生まれてきたわけであります。そういう伝統にあやかって始めたこの万灯行列が、もう二十八年を数えたということであります。こういうことを、一つ一つ時というものの動き、そして方々から万灯行列ができたのが縮少はされたけれども、また、本部がここ大聖堂に移ってきた時もいろいろあったのですが、移転するということも時のしからしめることで、順々にこうまいりました。普門館もでき、またさらに法輪閣も落成するということで、こういう法域を仏さまから授けて頂いたのです。その土地であればこそ、まあ東京の中では珍しくこれだけの場所があり、私どもが万灯行列もできるようにお許し頂ける道も一本そこに残されているのです。こちらへ来て皆さんが思う存分に回れるところの道場もこうして仏さまがお授け下さっているわけで、こういう自然の恵みに対して私どもは心から感謝をしなければならないと思います。
その仏さまのおはからいというものは、ずっと昔から順序次第が決まっていて、まことに無理なく、今日法華経を唱えておるならば、日蓮聖人のお言葉を頂きますと、この妙法蓮華経を皆さんがしっかり唱えているわけで、「吹く風枝をならさず、雨つちくれをくだかず。代は義農の世となりて、今生には不祥の災難を払い長生の術を得」というような強い言葉がございます。今日では寿命もだいぶ延びてきましたが、日蓮聖人さまは六十一歳でこの世を閉じたのであります。私など七十で、その当時流に言えば七十三ですが、こうしてまだ元気でおいて頂けるのです。これも人生に長生の術を得たことでございましょう。お互いさま長生きができるということも、法の功徳によって生命も長く保てるということであります。
ご法を味わってみますと、仏さまの万億の方便がなければ、ただ真実だけをぶつけられたのでは転倒してしまって、私どもは恐らくできなかったと思うのであります。その時、その時に適応したところの、我々の分に応じたところの方便力をもってお導きを頂いたおかげで、今日こうして盛大なる万灯行列ができ、また布教も伸びているのであります。こういうことを、一つ一つ時というものの動き、そして方々から万灯行列ができたのが縮少はされたけれども、また、本部がここ大聖堂に移ってきた時もいろいろあったのですが、移転するということも時のしからしめることで、順々にこうまいりました。普門館もでき、またさらに法輪閣も落成するということで、こういう法域を仏さまから授けて頂いたのです。その土地であればこそ、まあ東京の中では珍しくこれだけの場所があり、私どもが万灯行列もできるようにお許し頂ける道も一本そこに残されているのです。こちらへ来て皆さんが思う存分に回れるところの道場もこうして仏さまがお授け下さっているわけで、こういう自然の恵みに対して私どもは心から感謝をしなければならないと思います。
その仏さまのおはからいというものは、ずっと昔から順序次第が決まっていて、まことに無理なく、今日法華経を唱えておるならば、日蓮聖人のお言葉を頂きますと、この妙法蓮華経を皆さんがしっかり唱えているわけで、「吹く風枝をならさず、雨つちくれをくだかず。代は義農の世となりて、今生には不祥の災難を払い長生の術を得」というような強い言葉がございます。今日では寿命もだいぶ延びてきましたが、日蓮聖人さまは六十一歳でこの世を閉じたのであります。私など七十で、その当時流に言えば七十三ですが、こうしてまだ元気でおいて頂けるのです。これも人生に長生の術を得たことでございましょう。お互いさま長生きができるということも、法の功徳によって生命も長く保てるということであります。
ご法を味わってみますと、仏さまの万億の方便がなければ、ただ真実だけをぶつけられたのでは転倒してしまって、私どもは恐らくできなかったと思うのであります。その時、その時に適応したところの、我々の分に応じたところの方便力をもってお導きを頂いたおかげで、今日こうして盛大なる万灯行列ができ、また布教も伸びているのであります。眼目は仏になること
いろいろの宗教の状態を伺いますと、だんだん宗教を信じない人が多くなったというので、宗教が皆行き詰まりをきたしているというような向きもあるのですが、私どものこの会では、おかげさまで毎年何万世帯かがふえて、布教が伸びているのです。こういうことで、時代の要求にこたえ、仏さまの本願を私どものような者が広めさせて頂けるご功徳にあずかるということは大変なことなんです。
お経を読んでみますと、この法に会うことだけでも「百千万劫にも遭遇(あい)難い」ということで、その会い難いご法に会うことができ、そしてまた布教させて頂くところの、私どもにその使命があるということになりますと、これは何とすばらしいことでございましょう。日蓮聖人のご指南を頂きますと、非常にわかり易くて、私どもの身近に感じられるわけであります。身近に感じてこのご法を広めるという役が、いかに大事なことであるか――。ですから、お導きしなさいなんて言うと、佼成会の会員をふやすつもりなんだろうと思いたくなるが、そうでなくて、その仏の本願をそれだけ自分が実行させてもらう役があるんだということを、導きの親御さんは一生懸命手取りをして、励ましの言葉をもって導いているわけです。
それをうっかりしていると、何かどうも、教会長さんのために導くような気がしたり、佼成会のために導くような気がしたりして、自分のためよりも、そちらの方が多いのではなかろうかと思うのであります。ところがよくよく考えてみますと、人のためにご法を広めることによって初めて仏になれるのであるということ、他人のために説かなければ成仏できないのだと、この仏道修行に入ったということは、仏になるということが眼目なんだ、目的なんだ、その眼目に向かって我々が成仏する方法は何か――これは多くの人に仏の本願をお伝えして、そしてその人に認識して頂くという、この功徳を積むより外に自分の成仏する道はないのであります。ですから、自分が成仏するために、お導きをさせて頂くのであります。
このことがよくおわかりになりますと、仏道修行というものは非常に楽しいものになります。素直にそういう気持になりますと、いろいろのことが、あれもこうだなあ、これもこうだなあ、ここにも仏さまがちゃんとこのようにお手配下さっているんだなあと、感心するほど、もうもったいないほど、次から次へと仏さまがそこに生きて働いて、我々を導いていて下さることがわかるわけであります。眼目は仏になること
いろいろの宗教の状態を伺いますと、だんだん宗教を信じない人が多くなったというので、宗教が皆行き詰まりをきたしているというような向きもあるのですが、私どものこの会では、おかげさまで毎年何万世帯かがふえて、布教が伸びているのです。こういうことで、時代の要求にこたえ、仏さまの本願を私どものような者が広めさせて頂けるご功徳にあずかるということは大変なことなんです。
お経を読んでみますと、この法に会うことだけでも「百千万劫にも遭遇(あい)難い」ということで、その会い難いご法に会うことができ、そしてまた布教させて頂くところの、私どもにその使命があるということになりますと、これは何とすばらしいことでございましょう。日蓮聖人のご指南を頂きますと、非常にわかり易くて、私どもの身近に感じられるわけであります。身近に感じてこのご法を広めるという役が、いかに大事なことであるか――。ですから、お導きしなさいなんて言うと、佼成会の会員をふやすつもりなんだろうと思いたくなるが、そうでなくて、その仏の本願をそれだけ自分が実行させてもらう役があるんだということを、導きの親御さんは一生懸命手取りをして、励ましの言葉をもって導いているわけです。
それをうっかりしていると、何かどうも、教会長さんのために導くような気がしたり、佼成会のために導くような気がしたりして、自分のためよりも、そちらの方が多いのではなかろうかと思うのであります。ところがよくよく考えてみますと、人のためにご法を広めることによって初めて仏になれるのであるということ、他人のために説かなければ成仏できないのだと、この仏道修行に入ったということは、仏になるということが眼目なんだ、目的なんだ、その眼目に向かって我々が成仏する方法は何か――これは多くの人に仏の本願をお伝えして、そしてその人に認識して頂くという、この功徳を積むより外に自分の成仏する道はないのであります。ですから、自分が成仏するために、お導きをさせて頂くのであります。
このことがよくおわかりになりますと、仏道修行というものは非常に楽しいものになります。素直にそういう気持になりますと、いろいろのことが、あれもこうだなあ、これもこうだなあ、ここにも仏さまがちゃんとこのようにお手配下さっているんだなあと、感心するほど、もうもったいないほど、次から次へと仏さまがそこに生きて働いて、我々を導いていて下さることがわかるわけであります。そうわかってまいりますと、最初に申し上げた、日蓮聖人さまは肉体は六十一歳の一期を閉じられた、非常に受難の生涯を閉じられたのが、今度は不滅の御霊になって、苦しみなしに安らかに私どものそばに、私どもの願いのところにいつでもおいでになって、ご指導して下さっているのです。ですから、いろいろのことが、法門の通りに行ずれば結果が出てくるのです。これは日蓮聖人、またはお釈迦さま、この本化の方々が、目に見えないけれども常に私どもの身辺にいて下さり、常に法を説いて下さっているおかげでございます。
どうか、そういう意味で、本日このお会式行事を一つの契機として、また二陣、三陣続けよかし――と、あの太鼓をたたき、鉦をならし、笛を吹いて行列に雄々しく歩く人たちの気持のように、末法のこの時代に仏さまのみ心を体して歩むならば、すばらしい極楽浄土に私どもは置いて頂けるのだと、こういうことを悟らなければ、何かつまらないような気がするのであります。そうわかってまいりますと、最初に申し上げた、日蓮聖人さまは肉体は六十一歳の一期を閉じられた、非常に受難の生涯を閉じられたのが、今度は不滅の御霊になって、苦しみなしに安らかに私どものそばに、私どもの願いのところにいつでもおいでになって、ご指導して下さっているのです。ですから、いろいろのことが、法門の通りに行ずれば結果が出てくるのです。これは日蓮聖人、またはお釈迦さま、この本化の方々が、目に見えないけれども常に私どもの身辺にいて下さり、常に法を説いて下さっているおかげでございます。
どうか、そういう意味で、本日このお会式行事を一つの契機として、また二陣、三陣続けよかし――と、あの太鼓をたたき、鉦をならし、笛を吹いて行列に雄々しく歩く人たちの気持のように、末法のこの時代に仏さまのみ心を体して歩むならば、すばらしい極楽浄土に私どもは置いて頂けるのだと、こういうことを悟らなければ、何かつまらないような気がするのであります。極楽世界を意識する
最近どこへ行っても私は申し上げるのでありますが、例えば、夜道をご婦人が一人で歩いても、ちっとも心配がない――そんな国はないんですね。アメリカなどを手本にしてきたのですが、アメリカのニューヨークなんかへ行ったら、女の人が一人歩きしたらすぐさらわれたりして、大変なことになるわけです。ですから歩かないで下さいということを、ホテルの中にもいろいろ書いて知らせてあります。ヨーロッパに行っても、そういうことを言われます。ところが日本では、ご婦人が夜歩こうと昼間歩こうと自由で、思想が自由で、信仰が自由で、それで経済はどうかというと、大変外国の人がみんなうらやましがるほど、日本の円の価値が倍になり、三百六十円が百八十円になったのです。
そういう状態で、経済も安定しているし、政治もちゃんとしておるので、どこでも一人歩きして夜道でも心配がないというように、国家が安定しているわけです。ところが、不景気だというようなことを言っているのです。失業者もないことはない、あるわけですからそういう話を聞くと、不景気だ、もっと景気をよくしてもらいたいというようなことを考えるのでありますが、本来を考えてみると、食べたくてもお米がとれないというような時代、お米が日本中なくなったような、あの終戦直後の状態、それがわずかの間に、お米が余って困るという、もう十年もたつような古米がとにかく北海道には積んであるというような、そしてまた最近は、いろいろの果実が沢山なって、みかんやぶどう、栗が沢山とれるというほど技術が上手になりました。沢山ものが製造できてあり余るほどの食べ物からいろいろのものが充満しています。こんな状態をいつの世の人が想像したでしょうか。我々の想像のつかないような、極楽のような世の中にいて、まだ極楽でない地獄のような考えをしている人がまだいるということで、そのことをまず私どもがはっきりと自分で意識して、極楽であるぞ――と。極楽世界を意識する
最近どこへ行っても私は申し上げるのでありますが、例えば、夜道をご婦人が一人で歩いても、ちっとも心配がない――そんな国はないんですね。アメリカなどを手本にしてきたのですが、アメリカのニューヨークなんかへ行ったら、女の人が一人歩きしたらすぐさらわれたりして、大変なことになるわけです。ですから歩かないで下さいということを、ホテルの中にもいろいろ書いて知らせてあります。ヨーロッパに行っても、そういうことを言われます。ところが日本では、ご婦人が夜歩こうと昼間歩こうと自由で、思想が自由で、信仰が自由で、それで経済はどうかというと、大変外国の人がみんなうらやましがるほど、日本の円の価値が倍になり、三百六十円が百八十円になったのです。
そういう状態で、経済も安定しているし、政治もちゃんとしておるので、どこでも一人歩きして夜道でも心配がないというように、国家が安定しているわけです。ところが、不景気だというようなことを言っているのです。失業者もないことはない、あるわけですからそういう話を聞くと、不景気だ、もっと景気をよくしてもらいたいというようなことを考えるのでありますが、本来を考えてみると、食べたくてもお米がとれないというような時代、お米が日本中なくなったような、あの終戦直後の状態、それがわずかの間に、お米が余って困るという、もう十年もたつような古米がとにかく北海道には積んであるというような、そしてまた最近は、いろいろの果実が沢山なって、みかんやぶどう、栗が沢山とれるというほど技術が上手になりました。沢山ものが製造できてあり余るほどの食べ物からいろいろのものが充満しています。こんな状態をいつの世の人が想像したでしょうか。我々の想像のつかないような、極楽のような世の中にいて、まだ極楽でない地獄のような考えをしている人がまだいるということで、そのことをまず私どもがはっきりと自分で意識して、極楽であるぞ――と。仏さまのみ教えをよく読んでご覧なさい。今の時代にそのことをまず、皆求めているわけですね。極楽はどこにあるだろうと、皆求めているわけです。極楽はここですよ――と言ってあげる役、これがお導きであります。仏道修行は一朝一夕にはなかなか意味がわからない、仏さまの方便力もなかなかそう簡単にわからないが、これをじーっと五年、十年とかみしめてみるわけです。導きの親のいうことを素直に聞いて実行してみると、自分の思いがかなりそういうことを一つ一つ体験を通してだんだんに仏さまのお慈悲というものがわかり、世間のために奉仕をさせてもらうことの尊さがわかり、わからせてもらうことから実行ができるということになるわけであります。
どうかそういう意味で、本日のこの祭典をただ面白いだけでなしに、心の切り換えをし、万灯で足下を照らして、今までは暗い世の中だと思ったら足下は明るいんだなあと、この万灯を照らしてみて、すばらしい極楽浄土に私どもは今日おいて頂いておるのだということの感激ができるならば、私は今日のこの万灯行列が大きな意味をもつと思います。
今後のご精進をお願い申し上げまして、本日の説法を終わりと致します。ありがとうございました。仏さまのみ教えをよく読んでご覧なさい。今の時代にそのことをまず、皆求めているわけですね。極楽はどこにあるだろうと、皆求めているわけです。極楽はここですよ――と言ってあげる役、これがお導きであります。仏道修行は一朝一夕にはなかなか意味がわからない、仏さまの方便力もなかなかそう簡単にわからないが、これをじーっと五年、十年とかみしめてみるわけです。導きの親のいうことを素直に聞いて実行してみると、自分の思いがかなりそういうことを一つ一つ体験を通してだんだんに仏さまのお慈悲というものがわかり、世間のために奉仕をさせてもらうことの尊さがわかり、わからせてもらうことから実行ができるということになるわけであります。
どうかそういう意味で、本日のこの祭典をただ面白いだけでなしに、心の切り換えをし、万灯で足下を照らして、今までは暗い世の中だと思ったら足下は明るいんだなあと、この万灯を照らしてみて、すばらしい極楽浄土に私どもは今日おいて頂いておるのだということの感激ができるならば、私は今日のこの万灯行列が大きな意味をもつと思います。
今後のご精進をお願い申し上げまして、本日の説法を終わりと致します。ありがとうございました。